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沖島(おきのしま)は、日本海軍の敷設艦。日本海軍初の大型敷設艦であった。 ロンドン条約によって阿蘇、常磐の代艦として敷設艦の建造が認められ、2隻予算請求されたが1隻のみ成立、建造された。日本海軍初の大型敷設艦であり、6号機雷を600個搭載できた。またカタパルト1基が設置され水上偵察機1機も搭載できた。 日中戦争には陸軍部隊や物資の輸送で活躍した。太平洋戦争では緒戦の各地攻略作戦に参加。しかし1942年(昭和17年)5月12日、米潜水艦の魚雷攻撃によりソロモン諸島で早くも撃沈された。 ==艦歴== 1934年9月27日、播磨造船所にて起工、1935年11月15日進水、1936年9月30日に竣工した。 1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦時、南洋部隊(指揮官井上成美中将/第四艦隊司令長官)、第十九戦隊(司令官志摩清英少将)に所属していた。12月10日、マキン島上陸作戦、12月24日 、アバイアン島上陸作戦に参加する。 1942年1月、ラバウル攻略部隊に参加する。2月以降、アメリカ軍の機動部隊によるマーシャル・ギルバート諸島機動空襲等に対して、沖島は南洋部隊旗艦鹿島や南洋部隊麾下の第六戦隊(青葉、加古、衣笠、古鷹)、空母祥鳳等と共に警戒・迎撃任務に従事した。 4月25日、南洋部隊の作戦方針に従い、志摩(第十九戦隊司令官)はナウル・ギルバート諸島攻略命令を発令した〔#叢書38中部太平洋(1)563-564頁『ナウル、オーシャン攻略作戦の準備』〕。 同作戦に先立ち、第十九戦隊はツラギ攻略(フロリダ諸島)を実施する。ツラギ攻略部隊(指揮官志摩少将、旗艦沖島)は4月30日にラバウルを出撃〔#叢書38中部太平洋(1)562頁『第六兵力部署(乙)発動』〕。5月3日、南洋部隊各部隊の支援を受けてツラギの占領に成功〔。 5月4日、ツラギはアメリカ空母ヨークタウン搭載機による攻撃を受けた。最初の空襲で第23駆逐隊所属の菊月が損傷し、沖島は23駆僚艦夕月とともに出港してサボ島北方へ避退した〔戦史叢書 南東方面海軍作戦1、231-232ページ〕。続く空襲で沖島も爆撃機による攻撃を受けたが被害は軽微であった〔戦史叢書 南東方面海軍作戦1、232ページ〕。5日、沖島はツラギに戻り菊月乗員や重要書類を収容し、それからラバウルへと向かった〔戦史叢書 南東方面海軍作戦1、233ページ〕。5月7日午前9時15分、ラバウルに帰投して応急修理を受けた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沖島 (敷設艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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